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長崎地方裁判所 昭和38年(ヨ)28号 判決

債権者 蓑崎聡 外四名

債務者 山田吉太郎 外一名

主文

一、債務者らは債権者戎千太郎同根井路好行を従業員として取扱い、同人等に対し昭和三八年二月二四日以降毎月末日までに各金四万円を支払え。

二、債権者蓑崎聡同浦里虎雄同米良唯男の各申請を却下する。

三、訴訟費用中債務者らと債権者戎、同根井路間に生じた部分は債務者等の、債権者蓑崎、同浦里、同米良間に生じた部分は同債権者等の負担とする。

(注、無保証)

事実

債権者ら訴訟代理人は「債務者等は債権者等をその従業員として取扱い、かつ連帯して債権者蓑崎聡に対し昭和三八年一月一四日以降一ケ月金六万一、三三三円、同浦里虎雄に対し右同日以降一ケ月金六万五、二〇〇円、同米良唯男に対し右同日以降一ケ月金五万三、〇五三円、同戎千太郎に対し昭和三八年二月二三日以降一ケ月金五万三、〇五三円、同根井路好行に対し右同日以降一ケ月金五万六、七二三円の各割合による金員を毎月末日までに支払え。訴訟費用は債務者等の負担とする。」との裁判を求め、その理由として次のとおり述べた。

一、債務者等は、前記肩書地において山田漁業部(以下店という)と称し、共同で従業員約四五〇名、手繰船三六隻その他数隻の船をもつて漁業を経営するもの、債権者蓑崎は昭和二七年二月二五日に、同浦里は昭和二四年一〇月一二日に、同米良は昭和二五年一二月一四日に、同戎は昭和三一年二月一一日に、同根井路は昭和二一年九月に債務者等から店の従業員としてそれぞれ雇傭され、債権者蓑崎は債務者山田吉太郎所有の第六山田丸に、同浦里は債務者山田博吉所有の第一〇山田丸に、同米良は右山田吉太郎所有の第二八山田丸にいずれも通信長として、債権者戎は右山田吉太郎所有の第二二山田丸に甲板長として、同根井路は右山田博吉所有の第三二山田丸に甲板員として乗船勤務するようになつたが、債権者蓑崎、浦里、米良は入社後山田屋通信士会に入会し、昭和三七年一〇月には全日本海員組合(以下全海と称する)に組合員として加入し、債権者戎は昭和三一年三月一日、同根井路は昭和二五年六月頃右全海に加入していたものである。

二、債務者等は、昭和三八年一月一四日債権者蓑崎、同浦里、同米良に対し同日付で懲戒解雇の通告をなしたが、その理由とするところは

「(1) 昭和三八年一月三日決行の一斉ストライキは組合の一切関知しない行動であつた。

(2) ストライキの事由は組合の要求通り承認している最低保障に関して、組合への再確認を要求したものである。

(3) 店は右の件に関して組合と完全に意見が一致している旨を漁撈長の要請により再確認したにもかかわらずストライキを実行したのは全く無法無秩序なる行動であつた。

(4) 貴殿は右の理由なきストライキを主謀し、煽動し、実行したる主宰者と断定した。

(5) 右貴殿行動は店に対して悪質なる業務阻害行為と断定し、懲戒処分に付し、解雇するものである。」

というものである。

また債務者等は、同年二月二三日債権者戎、同根井路に対し口頭で解雇を通告したが、その理由は「このたび大きな事件を起したので、君にも責任をとつて貰う。もし君がこれを拒否すれば懲戒解雇にする。」というのである。

そして債務者等は右解雇通告後、その当時までに債権者蓑崎に対し遅くとも毎月末までに支払つていた一ケ月平均金六万一、三三三円、同浦里に対する一ケ月平均金六万五、二〇〇円、同米良に対する一ケ月平均金六万二、一三三円、同戎に対する一ケ月平均金五万三、〇五三円、同根井路に対する一ケ月平均金五万六、七二三円(以上解雇通告当時過去三ケ月間に支払われた賃金の平均賃金)の賃金の支払をしない。

三、しかしながら右解雇は、次の理由で無効である。

(1)  債権者等は、債務者等が指摘する行為をした事実はないのであるから、債務者等の解雇はその理由なく無効である。すなわち

(イ)  店は従来から船員の人権を無視した経営方針で臨み、出漁中の船員にして負傷し疾病にかかつた者の取扱に極めて冷酷であり、又山田各船の漁撈中の事故防止についても欠けるところが多かつた。他方組合も店に対する労働条件の維持向上についての交渉は弱腰で、いわば組合と店と協力して組合員を抑圧する有様であり組合は組合員に対し長期出漁手当金、ソーメン代、餅代を店より獲得してやると言明しながら、殆んど実現しなかつた。債務者等は本件エビ補償の要求につき団体交渉が妥結したと主張するが、これについては双方確認した文書は作成していないし、前記店及び組合の態度その他の事情からみて、妥結の事実はないと認めるのが相当である。

(ロ)  仮りに、今期エビ補償の件につき、妥結の事実があつたところで、これに関する組合からの電文は極めてあいまいであり、店が警戒するからなどといつて内容を明示せず、また諒解された考慮する等の字句を使つている。したがつて、(イ)に述べた店及び組合の従来からの態度にかんがみ、組合員全員が、妥結したと信じなかつたのは当然である。

(ハ)  債権者等三名は、通信士として、組合から来た電文をすべて組合員に示し、また組合に打つ電文はすべて組合員の事前または事後の承諾同意を得、その意見を集約してなしたもので、単に連絡係にすぎなかつた。本件エビ漁には、新網を使つたのであるが、極めて不良で洋上寒風をついてこれが改造補修の作業に追われ、労働はいよいよ強化されていた。しかもエビ漁は極めて不漁で網の改修作業が強化されゆくにつれて歩合給である船員は配当金についての不安がつのり、一刻も早く要求を獲得してくれるよう切望していた。蓑崎等はこの船員の不安と熱望を取りついで組合に打電し、また、船員の総意にもとづいて電話大会で司会し発言したものにすぎない。

(ニ)  債務者等は田平総船団長の操業命令を拒否したというが、船団操業の事実はない。また、当時洋上は時化で風力六ないし七で仮泊しており操業のできる状況ではなかつた。しかも、非組合員である各組の漁撈長は、店が組合の要求を容れないのはけしからんという意見をもち、漁撈長等自らが店の態度を難詰していた有様であつた。元来漁撈長は一組二隻の指揮者であり、生殺与奪の権を有するとさえいえる絶大な権力をもつものである。したがつて漁撈長が操業命令を下せば船員がこれに反抗しこれを拒否するが如きは到底不可能である。以上の次第で、債務者等主張の操業命令はなされなかつたのであつて、店の業務阻害の事実は存しない。また、一〇山、一一山の走航は風上りのためで操業のためではなく、これを阻止したことはなく、六五山六三山の走航をとがめて停船させたような事実もない。

(2)  右解雇は、無効な就業規則に基くものである。就業規則は組合員に周知させ、または公示等の方法により従業員が周知しうる状態におかれることによつてはじめてその効力を生ずるところ、債務者等の定めた就業規則は従業員に周知されず、従業員は誰もその存在すらも知らなかつたのであるから無効というべく、右無効の就業規則に基く本件解雇も無効である。

(3)  右解雇は、労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為であるから無効である。

即ち債務者等は、債権者等が船内委員或は通信士会の役員として劣悪な労働条件を改善するため積極的に組合活動を行つていたのを嫌悪し、債権者等の組合活動を封殺する意図で解雇に出たものであつて、債務者等が示した解雇理由なるものは、右解雇の意図を隠ぺいするために作り出されたものに過ぎないのであるから、本件解雇は不当労働行為であつて無効である。

(4)  本件解雇は、債務者等らが債権者等を共産主義者またはその同調者とみなし企業内より排除する意図のもとに行つたものであつて、債権者等の思想信条を理由とするものであるから、憲法第一四条、第一九条、第二一条、労働基準法第三条に違反し無効である。

(5)  本件解雇は、解雇権の濫用であるから無効である。

即ち懲戒解雇は、当該労働者を企業内に存置することが企業の経営秩序を乱しその生産性を阻害することが明白であつて、かつその者に将来改善の見込が乏しい場合に限つて許されるものである。債権者等は極めて誠実な通信士であり或いは甲板長、甲板員であつて、同船の漁撈長らからもいずれも厚い信頼を受け、過去においても非難されるような非行をなしたこと等全くない。また本件昭和三七年度の冬季エビ漁においても、債権者等が、業務を怠り、或は妨害した事実はなく、ただ船員らの組合支部や店に対する忿懣に発した意見を集約し、これを取次いだに過ぎないのであつて、債務者等がストライキと称する混乱状態に単に一部関与していたに過ぎない。そして右混乱状態は債務者側において未然に防止できたものであつて、右状態が発生したのは店責任者の労働者蔑視の偏見、予断がもたらしたものである。債務者等が右のような自己の非を顧みることなく本件解雇に出たのは解雇権の乱用というべきであつて右解雇は無効である。

四、債務者等は前段のとおり解雇通告後債権者等に対する賃金の支払いをしない。債権者等は債務者等から受ける賃金のみによつて生活しているものであつて、現に生活に窮し多額の借財を負担しており、債権者等の債務者等に対する従業員の地位の確認並に賃金支払いの本案訴訟の確定判決を待つていては債権者等は償い得ない重大な損害を蒙るおそれがあるので本件仮処分に及んだ。

債務者等が債権者等戎、同根井路と合意のうえ雇傭契約を解約した旨の債務者等主張事実は否認する。

債務者等訴訟代理人は「本件申請をいずれも却下する。訴訟費用は債権者等の負担とする。」との裁判を求め、次のとおり述べた。

一、債権者等主張の申請理由第一項について、債務者等が、債権者等主張のように山田漁業部と称し漁業を共同経営していること、根井路以外の債権者等がその主張の日時に債務者等から雇傭され、債権者等主張のような各山田丸に乗船していたものであること、債権者蓑崎、浦里、米良が通信士会に入会し、また債権者等全員が全海に組合員として加入したものであることはいずれも認めるが、店の従業員数は約五一〇名であつて内四五〇名が手繰船に乗船の従業員であり、債権者根井路が店に雇傭されたのは昭和二一年八月二一日である。また債権者等がその主張の山田丸に乗船した日は、債権者蓑崎が昭和三七年四月一七日、同浦里が同年一〇月一日、同米良が昭和三六年八月九日で以上いずれも通信士として、債権者戎が昭和三七年九月二六日、同根井路が昭和三六年九月四日である。債権者らが全海に加入した日は知らない。

同申請理由第二項について、債務者等が、債権者蓑崎、浦里、米良に対し昭和三八年一月一四日債権者等主張のような理由で懲戒解雇の通告をしたこと、及び右解雇前に賃金を支払つていたことは認めるが、債権者戎、同根井路に対し債権者等主張のような理由で解雇通告をしたことは否認する。債権者等が債務者等から受けていた債権者等主張の賃金額は争う。

同申請理由第三項の事実は全部否認する。

同申請理由第四項について、債務者等が債権者等に対し解雇ないし解約後賃金の支払いをしていないことは認めるが、その余の事実は否認する。

二、債務者等は債権者戎、同根井路に対し、昭和三八年二月二三日頃山田漁業部船員課長竹下昇から口頭で退職の勧告をしたところ、右債権者等両名はこれを承諾したものであつて、即日右債権者等との間に雇傭契約の合意解約がなされたものである。

三、債務者等が債権者蓑崎、同浦里、同米良を懲戒解雇し、また債権者戎、同根井路と雇傭契約の合意解約をなすに至つた事情は次のとおりである。

(一)  店は黄海々上(北緯三五度ないし三七度)における昭和三七年度の冬期エビ漁のため、店所属船三六隻をもつて主船従船の二隻を、一組とし、その四組ないし五組を一船団とする四船団にわけて船団操業をすることになり、漁撈長会の会長であつた申請外田平正善を総船団長とし(船団長兼務)、漁撈長会副会長三名を右各船団長として、昭和三七年一二月一日と二日に二船団(八組一六隻)が先船として、また同月一二日ないし一四日に二船団(一〇組二〇隻)が後船として出港し、以後右田平正善の総指揮の下に約四五日間位を出漁予定期間としたエビ漁を開始するに至つたが、右操業に関し債権者蓑崎は第六山田丸、同浦里は第一〇山田丸、同米良は第二八山田丸にいずれも通信士として右先船組、同戎は第二二山田丸に甲板長として、同根井路は第三二山田丸に甲板員として後船組に所属して出港し右漁場において操業していたものである。

(二)  それより先店と海員組合長崎支部(以下組合という)との間には同年一一月初旬頃から一般的な最低補償給とドツク日当増額について団体交渉がなされていたが、同年一二月三日右組合から新たに休日附与、長期出漁手当について団体交渉の申込を受け、同月一九日右二項目についての団体交渉を開始したが、同日更に右組合側から昭和三七年度のエビ漁について最低補償金として一人代金五万円、正月生活資金の前払金として一人金三万円の追加要求がなされた。そして以上諸要求について団体交渉の結果同月二六日(1)エビ漁最低補償金は船主において今航海に限つて一人代金五万円を支給し、歩付は歩付計算による、出漁経費は繰り越しをしない。(2)正月資金の前払については先船の各船員に右同日一括金三万円、後船に対しては翌二七日に金一万円、翌三八年一月一〇日に金二万円を分割して支給する。(3)休日、長期出漁手当については更に交渉を続けることに労使の意見が一致して交渉は妥結した。そして右長期出漁手当問題は昭和三八年一月八日に組合から取下げられ、休日問題については航海四三日までについては碇泊五日、休日三日、航海四四日以上については碇泊六日、休日四日と決定し、一般的最低補償給とドツク日当増額問題は棚上となり交渉は中断した。

そして右団体交渉の経過については、右組合が昭和三七年一二月二六日に出航の運搬船第一〇二、第一〇三各山田丸に同月一〇日付と同月一三日付の各組合ニユースを託送して出漁中の各組合員に配付せしめてこれを周知させると共に、電報によつても連絡し、また前記のように同月二六日妥結のエビ漁最低補償の件についても同日付の電報をもつて組合要求の線で了解させた旨の通知をなし、右電報は第六山田丸乗船の債権者蓑崎を通じ各組合員に周知されたほか、債権者等からなされた右電文の内容についての照会に対し同月二九日までの間に数回電報を発信して前記交渉は解決した旨を報告した。

(三)  (山猫スト発生について)しかるに昭和三八年一月二日午後九時頃当時出漁先の海上で時化のため仮泊中であつた各山田丸に対し田平総船団長から、同船団長に対する店からの指示に基き、先船組については直ちに漁変すること、また後船組については漁変ないし現在位置においてエビ漁をすることの自由操業命令が発せられ、右命令に基き第一〇、第一一山田丸が漁変しようと走航を始めたところ、右両船の航走に端を発し、右田平総船団長の命令に従うか、或いは仮泊のままで組合からの前記交渉は妥結した旨の電報を待つべきかについて債権者蓑崎を議長とした船員らの討議がなされ、その結果右仮泊のままで電報の来着を待ち、若し同月三日午後一〇時四〇分まで右電報が来ない場合には直ちに帰港する旨の決議がなされ、船員らは右田平の操業命令に従わず、遂に同月三日午後再操業がなされるまでの間漁変や操業のための労務提供を拒否した。

しかし右船員らのストライキ行為は、組合が定めたストライキ決定ないし開始に関する正規の手続に従つたものではなく、いわゆる山猫ストというべき不当なストライキであつて、債務者等は右ストライキに関し何等責任がないのにかかわらず、右ストライキのため同月二日午後九時頃から同月三日午後零時三〇分頃までの時間を空費されたのみならず、同月三日の小汐に間に合うように漁変ができず、一日間漁変が遅延する重大な業務阻害を受けた。

(四)  (右山猫ストは債権者等の共謀指導によるものであること)債権者等は前記のように組合から昭和三七年一二月二六日から同月二九日までの間に交渉妥結の電報を受けその事実を周知しながら、右組合の回答を不満とし、更に長期出漁手当及び休日の件をも年内に獲得しなければ漁場を引揚げる旨組合宛打電し、翌三八年一月一日には組合に対する不満からスト権確立の手続をとるべきことを強要し、各漁撈長には交渉妥結の事実を秘して店宛に問い合わさせたほか、右ストライキに関し債権者等はそれぞれ次のような役割を果した。

(I) 債権者蓑崎について

(1)  かねてから通信士会役員を長年勤め同会の実質上の会長として主導的役割を果していた。

(2)  昭和三七年一一月二九日の委員会で「斗う態勢を作る」決定をなし、以後すべてこの決定に基き行動した。

(3)  前項の決定に従つて同年一一月二九日組合支部長へエビ漁問題につき要望した。

(4)  同年一二月二〇日頃以降、無線電信を以て債権者浦里、同米良とすべてを合議した。

(5)  「組合との連絡は自分がする」との声明をなし、独断で連絡係を務めた。

(6)  同年同月二四日二五山田丸発信の電報(疎乙一一号証の一五)以降、出漁船から発信した電報については、すべて債権者浦里、米良と合議して起案、発信した。

(7)  組合からの電報について批判、対策等を右浦里、米良と合議した。

(8)  同年一二月二九日船内委員の選出指令をなし、かつ選出された委員氏名の報告を求めた。

(9)  同月三〇日田平総船団長に対し翌三八年一月二日帰港について協力方の申入れをなした。

(10)  同月三一日組合受、第六山田丸発の電報(乙第一一号証の八)の発信について、右浦里、米良とで合議した。

(11)  翌三八年一月一日第六山田丸発電報(乙第一一号証の九)について、浦里、米良と合議のうえ発信し、右発信について船員らには何ら相談しなかつた。

(12)  同年同月二日午前中再度右田平総船団長に対し同日の帰港について協力方の申入れをなした。

(13)  右同日開催の第一回電話大会にて次の役割を果した。

(イ) 船内委員の集合を命じ、第一回の電話大会を開催した。

(ロ) 右大会において率先議長に就任した。

(ハ) 前掲乙第一一号証の九の電報が未着であることを故意に秘し、前記乙第一一号証の八の組合に到着のみを報告かつ強調し「受取つていながら返事が来んとは、けしからん」との組合船員らの激昂を誘発した。

(ニ) 大会の議題は「二日二〇時四〇分に帰港することの是非である。」旨指示し、全船に討議を命じた。

(ホ) 帰港反対の意見に対しては強硬な発言をもつて牽制し、帰港賛成の決議に導いた。

(ヘ) 議長として、「二日二〇時四〇分帰港と決定した。」旨の宣言をなした。

(ト) 右決定を背景として田平総船団長に対し、三度目の帰港協力方の申入れをなした。

(チ) 右田平の要請により、独断で、右二日帰港の決定を翌三日帰港に変更した。

(リ) 田平総船団長をして、右二日午後二時二四分店受の「エビ時期に於ける最低補償金三〇日にて五万円(一人代)獲得に対する全船員の意見極に達す、漁撈長としても如何ともしがたし、要求どおり承認の確約なければ明日三日二四時を期して全船帰港するという処まで来ている。再考慮し指示頼む。」旨の電報(乙第一〇号証の一)を右漁業部宛打電するの止むなきに至らせ、かつ電文の一部修正をなさしめた。

(14)  右打電に対し店から各漁撈長宛の「最低補償に就ては組合と完全に意見が一致している。操業方針についてはNo.60のとおり。」なる電報を受電後、右田平総船団長から「帰港取止め」の要請がなされたのに対し、「右電報は今までの電報と同じである。」といつて右要請を拒否した。

(15)  第七、第一〇、第二二、第二五、第二八、第三二各山田丸の特定の船に対してのみ発言を求め、右田平の帰港取止めの要請を拒否させた。

(16)  第二回電話大会において次のような役割を果した。

(イ) 一月二日午後九時頃田平総船団長の操業命令に対し、第二回の電話大会を招集し、議長として率先操業拒否の声明をなした。

(ロ) 操業賛成意見に対して強硬な意見を述べ、遂に沈黙させた。

(ハ) 繰り返しなされた右田平や西崎漁撈長らの説得にも頑として聞き入れなかつた。

(ニ) 議長として右田平に対し、ストライキ宣言をなしストに突入した。

(17)  一月三日午前二時頃店から「組合要求は月額五万円であり、以上は当然の要求として気持よく理解しておる。この点は他社との関係もあるので秘密にされたい。」旨の電報(疎乙第一〇号証の五)を受電した後も、議長として操業拒否行為を続行した。

(18)  右電報により自分自身は納得したに拘らず船員らにその旨の意見は述べなかつた。

(19)  右電報について、船員から操業すべき旨の意見がでたのに対し、これを一笑に付して全く採りあげず、操業拒否の意見のみを採択した。

(20)  第六三、第六五山田丸の走航を激烈にとがめて遂に停船せしめた。

(21)  一月三日午前八時頃田平総船団長から、事態の収拾を依頼されたがこれを拒否した。

(II) 債権者浦里が前記ストライキに果した役割

(1)  かねてから、通信士会役員を長年勤め、同会の主導的役割を果していた。

(2)  第一回電話大会において強硬な帰港賛成の意見を述べた。

(3)  一月二日二一時過ぎ蓑崎に対し電話で「まだ問題は解決していないから、あくまで碇泊して待つべきだ」と提案し、第二回電話大会開催のきつかけを作つた。

(4)  第二回電話大会において、強硬な碇泊意見を述べた。

(5)  第一〇、第一一各山田丸の走航を阻止した。

(6)  一月三日午前二時頃前記乙第一〇号証の五の電報に対し強硬な碇泊意見を述べた。

(7)  前記蓑崎が果した役割として記載の(2)、(3)、(4)、(6)、(7)、(10)、(11)、(13)の(ハ)、(ホ)、(14)、(16)の(ロ)、(ハ)の各項と同様の役割を果した。

(III) 債権者米良についての役割

右浦里についての記載(1)、(2)、(4)、(6)、(7)と同様の役割を果した。

(IV) 債権者戎、同根井路についての役割

蓑崎についての記載(13)の(ホ)、(14)、(16)の(ロ)及び浦里について記載の(2)、(4)、(6)の各項と同様の役割を果した。

以上債権者蓑崎、浦里、米良の前記行為は、店の就業規則第七四条第二号、第四号、第七号、第八〇条第二、第三号第八号に該当するから第八一条第三号により懲戒解雇をなし、債権者戎、根井路については率先同調者にとどまるものと認められたので、情状酌量して昭和三八年二月二三日退職勧告をなしたところ、これに応じたので右就業規則第七三条の合意による退職として雇傭契約は終了したものである。

四、債権者等の解雇事由不存在の主張に対し

(一)  前述のとおり昭和三八年一月二日午後九時頃から翌三日午前一二時頃までの間約一五時間にわたつて組合指令に基かず、また組合規約に違反し、債権者等の主謀、指導、煽動によつて業務が阻害された事実は極めて明らかであるから、店は右事実に基きこれを就業規則に照らして解雇と為したのである。従つて債権者等が主張するように真の解雇事由は債権者等の思想、信条を理由としたとか、または債権者等の組合活動を行つていた故の不当労働行為であるから解雇は無効であるとかの主張はいずれも失当である。附言すれば債権者等蓑崎、浦里、米良ら三名が通信士会の役員を長期間にわたり歴任していたとしても本件解雇事由とは何ら関係がない。

(二)  債権者等は、更に本件解雇は解雇権の濫用ないし懲戒の裁量を誤つたが故に無効であると主張するが、当時組合と店との間には何らの紛議はなかつたのであるから、本件ストライキは債権者等の右組合に対する不満に基き、右組合に対し圧力を加えることを目的として、店の業務を阻害する形をとつたものにほかならない。しかもその手段において組合からのストライキ指令はなく、またスト権確立もなく明らかに組合規約に違反した所謂山猫ストであつて、かつ、出漁中の洋上で行われているのである。

以上のとおり右ストライキはその目的、手段において明らかに違法であり、店の正常な業務の運営を阻害しているのであるから、本件解雇については正当の事由があり、その裁量も妥当である。

(三)  本件解雇に適用した就業規則は、組合の意見書等を添え、所轄海運局に提出し、正規の手続を経て発効し昭和三四年一〇月一日より施行されているもので各船に各一部宛配付し、船長をその保管責任者と定めているから、その周知徹底の方法に何ら欠けるところはない。

以上債権者等の主張は理由がないから、本件申請は失当である。

(証拠関係省略)

理由

一、債権者等と債務者等との雇傭関係

(一)  当事者間争のない事実、債務者両名が共同で山田漁業部の名称で手繰船三六隻その乗組員四五〇名余をもつて以西底曳網漁業を行つている事実、債権者蓑崎聡が昭和二七年二月二五日、同浦里虎雄が同二四年一〇月一二日、同米良唯男が同二五年一二月一四日同戎千太郎が同三一年二月一一日同根井路好行が同二一年八、九月頃店に雇傭され、本件紛争当時蓑崎が債務者山田吉太郎所有の第六山田丸に、浦里が同第一〇山田丸に、米良が同第二八山田丸にそれぞれ通信士として乗船していたこと、戎が同第二二山田丸に甲板長として根井路が債務者山田博吉所有の第三二山田丸に甲板員として乗船していたこと、店が昭和三八年一月一四日債権者蓑崎同浦里同米良(以下債権者等三名と略称することあり)に対し、「一、本年一月三日決行された一斉ストライキは組合の一切関知しない行動であつた。二、ストライキの事由は、組合の要求通り承認しておる最低補償に関して組合への再確認を要求したものであつた。三、店は右の件に関しては組合と完全に意見が一致している旨を漁撈長の要請により再確認したにも拘らず、ストライキを実行したのは全く無法無秩序なる行為であつた。四、貴殿は右の理由なきストライキを主謀し、煽動し、実行したる主宰者と断定した。五、右貴殿行動は店に対して悪質なる業務阻害行為と断定し、懲戒処分に付し、解雇するものである」と記載した文書をもつて懲戒解雇を通告したこと、債権者戎、同根井路との間に同年二月二三日雇傭関係を終了したこと(これが債権者等主張のような解雇であるか、債務者等主張のような合意解約であるかは後に判断する)はいずれも当事者間に争がない。

(二)  成立に争ない疎甲第四号証の一ないし五、証人竹下昇の証言により成立を認めうる疎乙第二〇号証、証人竹下昇、同田平正善、同西崎春男の各証言を総合すると次の事実が疎明される。店の経営する以西底曳網漁業に使用する船舶は、すべて番号を附した山田丸と称する九〇トン余の鋼船二隻を一組として操業する手繰船で、両船の指揮をなす主船(或は権利船ともいう)と従船(或は義務船ともいう)から成る。主船には漁撈長以下通信士を含み一三名を定員とし、無線電話器及び無線室を有し、従船には副漁撈長以下一二名を定員とし通信士は乗組まず、また副漁撈長は船長を兼ねている。

漁撈は一般漁及びエビ漁を目的とし、昭和三四年以降は毎年一二月から一月にかけて渤海を南下する下りエビを、二月から三月にかけ北上して渤海に入る上りエビを獲るいわゆるエビ漁を行い、それ以外のときは一般漁を行つて来た。エビは鮮度のおちる度合がひどく、且つ、漁場もほゞ一定しており期間も限定される関係から獲れたエビは逐次運搬船で持ち帰る関係から、一般漁のように漁船自体が漁獲物を持ち帰る必要もなくまたエビ漁中の操業能率を上げるため当初三〇日前後の航海日数から逐次長くなり、昭和三七年の下りエビ漁(一月から三、四月にかけての分)の場合は六〇日から七〇日余に及んだものであり、一般漁の約二五日一航海に比し長期に亘るものであつた。しかしながら、日水、大洋等他社においてもエビ漁には四十数日から七十数日に及ぶ場合もあつて、右長期出漁は店のみではなかつた。

(三)  証人竹下昇の証言により成立の認められる疎乙第二号証に右証人の証言、債権者等五名の各本人尋問の結果を総合すると次の事実が疎明される。債権者等は店より各山田丸の船員として歩合制による給与を受け、歩合給は各航海終了後五日以内に最低補償給(一ケ月一二、〇〇〇円――歩付)以上を概算にて支払い、精算は次航海終了後に行われていた。歩合給の算出方法は次のとおりである。

(1)  一組の歩合総額の算出方法

1組1航海の水揚手取金-仲持経費=歩合基金

歩合基金×40/100=1組の歩合総額

但し大型新造船の場合は4年間を限り38/100とする

(2)  各人の歩合金算出方法

1組の歩合金総額×各人の歩合/1組の総歩=各人の歩合給

右にいう水揚手取金とは漁獲売上仕切金より市場手数料、荷卸料、運賃その他販売上の諸掛費を控除したものをいゝ、仲持経費とは、その航海の船費及び繰越経費であり、船費とは燃料、魚函、氷、清水、消耗品、医薬品、食料品等の積込品のほか、通信士の給料等、普通修繕費保険料各船共通の分担金等をいゝ、繰越経費とは、初航海経費の内、次航海に亘り繰越した経費、歩合基金が赤字を生じた場合漁撈長と協議の上繰越を決定した経費をいう。ところで歩合給が前記最低補償給に満たないときは、最低補償給は支給されるものの、不足額は次航海に繰越し計算されるが、これが二航海に及んだときは打切る(夏期修理前の最終航海で生じた最低補償給の場合の不足額はこれを打切る)こととされていた。しかして歩合給配分の基準となる歩率は漁撈長、副漁撈長、船長、機関長、通信士は各一、五人代、甲板長一、〇ないし一、二人代、操機長一、〇ないし一、一人代等であつた。

ところで債権者等三名はいずれも通信士として本件当時一、五人代の歩合給であつたが、右歩率は右昭和二六年当時は一、二人代であつた。そこで、店に雇傭されていた通信士等は、通信士の経済的地位の向上と親睦を目的として通信士会を結成し、歩率の引上げと歩合給を排して月給制による固定給の支給方を店と交渉し、翌二七年には一、三歩にし歩合給も給与のうち五割ないし六割を月給制にする等の成果をあげ、その後従来担当していた社外船の情報蒐集停止、時間外労働の拒否等の実行行使をなすことによつて通信士会と店と歩合率引上、月給制実施等につき交渉を重ねて来て、本件当時は歩率一、五人代、全額月給制となつた。

山田丸の船員は漁撈長、通信士を除き全日本海員労働組合の組合員であつて、その労働条件の維持向上等については従前全海長崎支部(以下組合という)が店と交渉していたものであり、債権者等三名の所属する通信士会は昭和三七年一〇月一日全海に加入するまでは同会自ら店と交渉して前記の如き成果を挙げて来たものであり、通信士会は規約を設け結成以来多少の変遷はあつたが、本件当時意思決定機関として通信士総会をもち、執行機関として調査部、厚生部、技術部に分かれ各部に任期一年の委員が選任されていて、債権者蓑崎同浦里は調査部委員、同米良は技術部委員であり、前記の如く全日海に加入した後も解散することなく存続していたものである。

二、エビ漁補償等に関する団交とその妥結について

成立に争ない疎乙第三ないし第八号証債権者蓑崎聡本人尋問の結果により成立を認めうる疎甲第一六号証に、証人竹下昇の証言、債権者五名の各本人尋問の結果を総合すると次の事実が疎明される。

(1)  昭和三七年九月頃から店と組合間において、店所属組合員の一般的最低補償給並びに夏期ドツク手当の各増額について団体交渉が開始され、同年一一月頃も右交渉は継続されていた。ところで債権者等三名を含む通信士会所属各通信士は組合に加入していなかつたところ、同年二月頃から四月にかけての上りエビ漁の航海日数が予定日数を超過し六〇日から七〇日余に亘り、しかも不漁であつて配当金も少なく、組合の要求した長期航海手当三万円の要求が五、〇〇〇円の支給を受けるに止まつたところから、下りエビ漁については相当額の最低補償額の獲得と長期航海反対を直接の契機として同年七月頃、組合に加入し、通信士会も組合員と一体となつて斗争しなければ長期航海反対の成果はあげえないとの機運を生じ、同年七月二八日の委員会において同年一〇月一日組合加入を決議し、ついで八月一日の総会にこれを付議した。右総会の席上説明を求めた組合支部長迎健、谷口支部委員等に対し、通信士会の要求も述べ、通信士会が従前独力で獲得して来た月給制等の労働条件、交渉権は通信士会の既得権として組合が認めることを条件に同年一〇月一日組合加入を決定した。ついで同年一一月二八日、同年一二月からのエビ漁の最低補償額の要求を店に提出するにつき通信士会は機関士会(山田丸各船乗員の機関士の団体)より協力方を求められ、翌二九日通信士会は委員会を招集討議の結果全海に対する態度として「四、(イ)諸要求を獲得する方向に精力的に努力させる。(ロ)斗う態勢を作る、即ち船内委員を選挙し、之とアンテナ会機関士代表を加えて山田屋委員会を作り、入港毎に会議を持つ、現在直に選挙も出来ぬので臨時的にボースン会議にて招集して進める。五、当面の問題としてエビ漁問題を強力に進める」等を決定し、即日門脇機関士会長、債権者等三名及び通信士会委員大古は組合事務所に迎支部長を訪ねて、今回のエビ漁の最低補償額、航海日数の制限等につき通信士会、機関士会の意向を伝えた。同支部長は船員の諸要求については翌三〇日訪船して直接各船員の要望を確めた上、対策をたてる旨約し、通信士会が今度組合に加入してくれて非常に心強く思つている、大いに期待しているから組合のため働いて貰いたい旨激励した。しかして組合幹部は翌三〇日同年一二月一、二日にかけ出航の先船八組の船員大会を六三山田丸(山田丸を以下山と略称する)で開き、同年一二月一二日から一四日出航の船一〇組の船員大会を一二月一〇日頃二三山で開き、船員の要求をきゝ、これに対する組合の考えや態度を説明した。その際取りまとめた組合員要望の内容は、(イ)エビ漁補償金一ケ月一人代五万円を一船団毎のプール制を併用して要求する。但しプール制は後船の意向を確めた上決定する。(ロ)休日付与、長期出漁手当は組合案通り要求する。(ハ)正月資金前払は一人三万円を要求する、というにあつた。

(2)  先船八組の船員大会や通信士会、機関士会の前記意見聴取に基いて、組合は店に対し一二月一九日、組合がさきに店に書面で申入れていた休日付与及び長期出漁手当に関する件につきなされた店事務所での団体交渉の際口頭で「一、エビ漁最低補償金一ケ月一人代五万円、二、正月生活資金の年末前払三万円」の要求が附加され、即日前記二要求と併合審議され、続いて同月二四日二五日二六日交渉がなされ、右二六日左記内容の協定が労使双方間に成立し、団体交渉は妥結するに至つた。

(イ)  エビ漁最低補償金については、今航海に限り一ケ月一人代五万円を最低補償額とする、歩付は歩付計算による。経費の繰越はしない。補償金は船主負担とする。この取決は他社との関係もあるので部外秘とする。

(ロ)  正月生活資金の前払については、先船八組に対しては金三万円を一二月二六日支給、後船一〇組に対しては金一万円を一二月二七日、金二万円を一月一〇日までに支給すること、

なお、組合の要求であつた長期出漁手当の問題は、右最低補償額が組合の要求する相当高額な金額で妥結したため後日の交渉に委ねることとし、また一般休日付与の件についても他社との関係もあるので一応これを前記妥結の問題と切り離して交渉を継続することに労使双方意見の一致を見たのである。

(3)  証人竹下昇の証言によると、右団体交渉によつて妥結した内容は労使双方確認の上文書に作成されたものではなく、しかも双方確認の議事録もないことが疎明されるので、果して上記のように妥結したかどうかにつき疑念がもたれないこともないが、成立に争ない疎乙第一〇号証の二、同第一〇号証の六、七、同第一一号証の一ないし七同号証の一二並びに後記説明の事実に徴し前記疎明を得たように一二月二六日エビ漁最低補償額及び正月生活資金の前払の要求については妥結した事実は充分明らかなものと一応認めるのが相当である。しかも、通信士会ないし組合が従前店と労働条件等について団体交渉し妥結した内容がその都度文書に作成されて来た点についてはこれを窺うに足る疎明がなく、団体交渉による妥結内容を文書に作成する慣行が本件労使双方に行われて来た事実の疎明もないので、単に文書によつて双方確認されていない点を捉えて妥結の事実を否定することはできない。

三、出漁中の組合員に対する妥結内容の通知とそれに対する組合員の態度

(1)  陸船間、各船間の通信連絡の方法。組合は前記のように先船及び後船につきそれぞれ船員大会を開いて、店に対する諸要求を聴取取まとめたのであるが、先船は一二月一、二日頃出港し、後船は一二月一二日から一四日にかけ出港したのであり、団体交渉の経過は陸上と異りその都度口頭で組合員に周知させることは困難ゆえ、逐次無線電信または運搬船に托する組合ニユース等の文書によつて連絡することとされたことが債権者等五名の各本人尋問の結果認められる。そこで、右団交経過と妥結内容に関する組合員に対する通知について検討するまえに、陸船間、各船間の通信連絡の方法について説明する。

成立に争ない疎乙第一六号証、証人竹下昇、同木下定、同狩野晋、同田平正善の各証言、債権者蓑崎聡の本人尋問の結果を綜合すると次の事実が疎明される。

(イ)  陸船間の通信連絡。これは無線電信のみによるもので、無線電信の使用は各漁業会社等に対し使用周波数、割当時間が定められていて、電波の到達距離等の関係から、各会社等は右割当のものに限定されこれを使用することになるが、店に割り当てられているのは疎乙第一六号証記載のとおりである。ところで店から出漁中の各山田丸に打電する場合は、店の受信所を通じ、受信所で暗号を組み、漁業無線局を通じて無線装置をもつ主船たる山田丸の当番船(各山田丸がそれぞれ陸船間の通信をすれば輻湊するので、毎日当番船を定め、これが通信連絡にあたる)に打電し、当番船が各船に無電連絡をする。しかし各船は漁業無線局と当番船間の無線電信を直接受信(傍受)するのが実情である。各船で受信した通信士は暗号を解読して漁撈長に渡すのであつて、業務上の電報は漁撈長の命令によつて発受信する。各船から店へ打電する場合はこの逆経路をとる。各船から公衆電報(個人宛の電報)を打つ場合は、各船から当番船へ打電し、当番船から漁業無線局、電報電話局を経由して名宛先へ配達される。

(ロ)  各船間の通信連絡。主船間は前記疎乙第一六号証記載の割当時間、割当周波数で交信できるし、この割当時間で不足の場合は疎乙第一六号証記載の二〇七〇KCが常時使用できるからこれによつて交信する。

このほかに無線電話は、主船従船の区別なく設置されている(いずれも船の船橋内に設けられている)から、これによつて通信士だけでなく漁撈長、船長、船員も話し合うことができる。その構造は、タクシーの無線車についているようなもので、受信機と送信機に別かれ、受信機のスウイツチは出港してから入港するまで入れつぱなしであるから、他船から連絡があると常にスピーカーから聞えて来る。応答する場合は送信機のスウイツチを入れるだけで直ちに話すことができる。その到達距離は普通一五ないし三〇マイルである。この範囲内であれば、他社船とも交信できるから、常に輻湊し混信がある。

(ハ)  主船、従船間においては、無線電話による場合もあるが、通信筒によるのが普通である。通信筒連絡とは、普通の竹筒に所要連絡事項を記載した紙(例えば主船が受信した電文を複写し、その一通)を入れ、栓をし、これを曳網に結びつけ、投網揚網のため主船従船が近寄るとき渡すものをいう。したがつてこの連絡方法は曳網時間の関係から自ずから制限され、操業漁撈中に限られ、しかも約二時間に一回、朝七時頃から夜九時頃までに六、七回少くとも五、六回が限度である。本件の場合、一月二日から三日にかけて前後三回電話大会の場合以外は、すべてこの通信筒による連絡のみが主船従船の船員間に行われたのである。

(ニ)  無線電信でうけた電文は通信士において、通信筒でうけた連絡用紙はその受領者が、船員に知らせる必要あるものは船員の見やすい場所にこれを掲示し、或は食事等の際集まつた者に話して連絡する。

そこで、以下出港以後の組合と組合員の通知連絡について考察する。成立に争ない疎乙第七号証、同第一〇ないし第一一号証の各証、債権者蓑崎の供述により成立を認めうる疎甲第一〇号証の三の一、二に証人田平正善、同西崎春男、同村上芳一、同土居忠義、同木下定、同狩野晋の各証言、債権者五名の各本人尋問の結果を綜合すると次の事実が疎明される。

(2)  一二月一四日から同月二六日までの間における通信連絡について

疎乙第一一号証の一、同号証の一三ないし一七は、組合から店の受信所を経由して各船に打電されたものであるところ、組合は一二月一四日山田各船あて、今期エビ漁につき一人代一ケ月五万円の最低補償額を店に要求するについては、少くとも全船プール化はできないとしても、四組一船団のプール化を前提とした方が妥結しやすいと考え、四組一船団プール化につき賛否の投票方を依頼し打電した(もつとも後船は、出港前にその投票を終つていたのが多かつたので、未投票の後船の一部と先船あて打電した)。投票の結果が組合に報告され組合において検討しこの結果、一二月二〇日山田各船宛賛成多数なるも、投票総数三八九賛成二二〇、反対一五六、無効一三でこれではプール制実施に踏みきつて交渉できないとし、各船の再協議を要請し、そのほか、正月資金三万円、最低補償五万円休日の件等についての交渉の経過を報告する電報を打電した。これに対し一二月二四日二五山の依頼をうけた当番船より、プール化実施が前記賛成得票数で実行困難とは考えられない、正月資金の前払、最低補償の獲得、休日の件を強く要望し、且つ、組合執行部を叱咤する電報が寄せられ、同じ二四日債権者蓑崎の乗船する六山より、前記と同趣旨の要望並びに四五日航海の確認、要求と共に、新網についての不満、これが改造による労働強化を訴え、これに対する保障をどうするか、その返答を一二月二六日まで打電せよ出港後は熱意が足りない本部に打電して交替させると憤激している、という電報を組合員一同の名において組合宛打電した。つぎに一二月二六日組合より山田各船宛プール化実施は賛成が過半数を出た程度では困難と判断するから諒承を乞う旨打電されると共に、「一、今期エビ補償の件組合要求の線で諒解させた。二、正月の生活資金については強く交渉したが、資金関係から先船八組に対しては三万円を二六日に、後船は二七日に一万円を出させ、一月一〇日までに二万円を出させることにした。三、出漁慰労金休日の件についてはなお交渉を進める。四、出漁期日の問題については出漁当時の予定に変化はない。若干の伸縮は漁況によつて決定されることを諒解されたい」(疎乙第一一号証の一)旨打電が六山田丸宛なされて来た。

右事実によれば、団体交渉が妥結しその内容はエビ補償に関する件であり、額こそ明示されていないが、当時組合の要求は出漁前の船員大会によつて組合員によつて了知されていたと認められるから、洋上の組合員に対しエビ補償に関する件は組合要求通り妥結した旨の通知がなされたものというべく、この電文は主船において受信後通信筒によつて従船にそれぞれ連絡され、各船において船員の了知しうべき状態におかれたものといえる。

(3)  一二月二六日から一月一日までの通信連絡について検討する。

しかるに右電文を受信した六山の通信士蓑崎は、これを前記方法によつて山田各船の船員に連絡したところ、組合の線で「諒解させた」の意味が判らないとの船員の意見があつたので、一二月二七日「一、エビ補償金の内容をくわしく知らされたし、特に次の点について、一、三〇日で五万「一人代」である事二、それは一航海で打切りである事三、経費はその航海打切である事四、補償金及経費は次航海繰り越しに絶対にしない事、尚未解決の件については本年中に獲得するよう一層の努力を要望す、以上返待つ」(疎乙第一一号証の二)を打電した。これに対し組合より翌二八日山田各船宛に、「一、エビ補償の件組合ニユース四八号記載要求の通り諒解された。二、補償金はこの航海の経費を控除した後組合要求の線に達しなかつた場合に要求額を考慮するということである。三、経費補償金は次航海にくり越すことはしない」(疎乙第一一号証の三)の返電があつた。当時組合ニユース四八号(エビ補償一ケ月一人代五〇、〇〇〇円歩付は歩付計算による補償差額は会社負担とする、旨組合要求として交渉中と記載がある)は蓑崎乗船の六山には配布されていたので、同人はその内容を各船に伝えたのであるが、この電文に対し「諒解された」「考慮する」ことの意味が、判らない、内容があいまいである、と船員が非難し、明確な意味にとれる通知が欲しいということであつたので、六山の債権者蓑崎は翌二八日組合宛「諒解されたとか考慮されるということは組合要求を認めて(き、とあるも、ての誤字と認める)その通りに保障するという事なりや返待つ」(疎乙第一一号証の四)旨打電した。これに対し組合より六山宛同日「全く貴方解釈の通りである具体的内容をそのまま打電することを店が警戒するので先電の字句を使つた」(疎乙第一一号証の五)旨返電があつた。具体的内容につき先電の字句を使つたというのは、前記のとおり組合要求の線であることは明らかである。ところで右電文によつてもなお、諒解、考慮の意味が不明で、妥結したら妥結したと何故はつきり云わないかとの船員の声が強かつたので、翌二九日再び債権者蓑崎は組合に対し「エビ補償に関する限り組合要求の線で妥結したものと考え安心して操業してよきや返待つ」(疎乙第一一号証の六)を組合宛打電した。これに対し組合は直ちに「安心して操業されたし、大漁を祈る」(疎乙第一一号証の七)を返電した。右問合わせ及びこれに対する返電を判読すれば、組合要求の線で団体交渉は妥結したことが、組合及び洋上船員の間で充分理解されえたと推認するのが相当である。

しかるに船員の中には、「組合からの返電は皆あいまいである、我々に通知しては都合の悪い内容が含まれているように思われる。店との交渉で妥結したものであればどこに公表しても差支えないはず」(疎甲第一〇号証の三ノ一、二)の声が上がり、団体交渉における組合の要求は容れられていないものとの空気が醸成され、債権者蓑崎は、一一月二九日の通信士会委員会で決議した「斗う体制を作る」必要を感じ、一二月二九日未だ船内委員を選出してない船に船内委員の選出を依頼して即日選出を了らしめ、翌三〇日組合に対し「昨日から今夕までの討議の結果次の決議をした、安心されたしでは安心できぬ、要求通り補償を確約させたと何故はつきりやれないのか、吾々を欺瞞しようとする執行部の態度にあらたな怒を感ずる、吾々が出港して以来借金をのぞいては何一つかくとくできていないではないか、吾々は吹雪をついて疲れた身体に鞭うつて操業している、四五日以上の航海は絶対にできない、尚長期手当休日の件も本年中に必ず獲得せよ、吾々は以上の要求が獲得できねば直ちに漁場を引きあげる用意がある。組合員一同」とした電報(疎乙第一一号証の八)を打つた。ついで翌一月一日正午すぎ頃には漁撈長会長田平正善に対し、以上の六山と組合間のいままでの経過を説明すると共に、もし山田各船において帰港することになれば各漁撈長もそれに協力して貰いたい旨依頼するところがあり、更に前電においては「直ちに漁場引きあげの用意がある」というだけで、時日の明示がなかつたので、これを明かにする趣旨で、債権者蓑崎より組合宛同日一七時四二分発にて「明二日二〇四〇迄に回答なければ全船漁場引揚態勢に入る、直ちに(スト)権確立の手続をとられたし、組合員一同」(疎乙第一一号証の九)を打電した。この二日二〇時四〇分と明示する提案は、どの船からなされたかにつき債権者等はいずれも判然としないと供述するところからみれば、或は債権者蓑崎等において提案したとも推測される。

(4)  一月二日の状況

一月一日は洋上は風力強く時化で二〇時すぎより操業をやめて仮泊したが、翌二日になつても、前記問合せに対する返電がこなかつた。そこで債権者蓑崎において、前記疎乙第一一号証の八、九の電報が組合に到達しているかどうかを問合わせたところ、疎乙第一一号証の八は組合谷口部員によつて受領されていること、同号証の九は未だ受領されていないことが判明した。他面漁撈長会長田平正善は、同日朝当時までのエビ漁の不漁につき今後の対策等に関し各組の漁撈長等の協議の結果店に対し「今後の漁況は好転の見込薄いと思う、今度の小汐に間に合う様先発組のみか又は全船一般漁に切換えた方が得策と思う店の考え知らせ」(疎乙第一〇号証の二の二)を打電し、当時他社船でエビ漁の不漁を理由に南下して一般漁に切り換えていた船もあり、山田各船のエビ漁獲も良好でなかつたことを理由に、操業方法の変更指示を店に要請した。その後同日一二時頃債権者蓑崎は田平漁撈長会長に対し再び、二日二〇時四〇分に店が組合要求を認めて確約した旨の返電が来なければ帰港することになつているから協力して欲しい旨申入れた。前日にはただ、漁場引揚の用意があるというだけだつたのに今度は本日二〇時四〇分までに返電なければ引きあげることだつたので、田平会長も驚いて、船員の気持を聞かせてくれと答えた。そこで蓑崎は各船に対し無線電話で船内委員は電話の所に集まるよう依頼し、同日一一時頃から船内委員の電話大会(第一回)が開始された。当時山田各船は無線電話で話し合える距離内に仮泊していたのである。右電話大会において債権者蓑崎は大会を司会し、疎乙第一一号証の八、九の打電に対し組合より返事が来ないがどうするか、との議題について各船の意見を徴したところ(この際疎乙第一一号証の九が組合に配達されていない事実を告げたかどうか疑わしい)、各船中操業しながら返事を待とうとの反対がないではなかつたが、おおむね電文どおり二日二〇時四〇分までに確約の返電ない限り電文どおり漁場引あげに賛成する意見が述べられたが、六五山より三日二〇時四〇分まで期限をのばしたらどうかの意見がで、蓑崎はこの意見に賛同し、各船を説得したところ、各船もこれを諒承した。そこで山田各船は前記二日二〇時四〇分の期限を三日二〇時四〇分に変更決定したのである。右電話大会終了後間もなく、店より山田各船あて前記田平会長の問合せに対する返電として店発一三時一五分にて、「店も各位と共に長期に亘る不漁に対し隠忍久しきにわたりたるも待望の冷込を得て後は愈時化明けを待ち今年下りエビの最後の雌雄を決する段階にあると思うよつてそれを見とどけずして全船一般漁に漁変するのは誠に残念ではあるが各位の希望並びに小汐等諸般の状勢を考慮した結果、早出の八組は直ちに一般漁に切換え、残り一〇組は自由操業とする(この場合一〇組共一般漁を希望したとしても致し方なし)但し他社の情報等によりエビが大獲れしだせばエビ漁に切換る事もある」(疎乙第一〇号証の二の三)が受信された。これに基づき早出の八組に対しては一般漁に切換えるための網の取替作業が指示され、六山七山は網作業を開始した。しかしながら、第一回電話大会における船員の空気は、以上の如くであつたので、田平漁撈長会長は店に対し同日一四時二四分(店受)の電報で「エビ時期における最低補償金三〇日にて五万円(一人代)確保に対する意見極に達す、漁撈長としても如何ともしがたし、要求通り承認の確約なければ明日二四時を期して全船帰港するという処まで来ている、再考慮し指示頼む」(疎乙第一〇号証の一)旨打電しエビ漁補償に関する組合要求を考慮せられたき旨洋上漁撈長会長としての意見を伝えた。右電文は打電に先立ち田平会長より債権者蓑崎に電話にて案文を読み上げたものである。これに対し店より直ちに各漁撈長あて「最低補償に就ては組合と完全に意見が一致している、操業方針についてはNo.六〇の通り」と返電あり、No.六〇とは前記疎乙第一一号証の二の三を指すのである。したがつて、各漁撈長においても店よりの連絡によつてエビ漁補償に関する組合の要求が容れられ団体交渉は妥結し、操業方針も明白に指示されたことを了知したといえる。右田平会長は蓑崎を電話口に呼び出し右電文を読みあげて、これで納得して一斉帰港などしないように説得したのに対し、蓑崎等は、今までに来ている電報と同じだとして説得に応じなかつたのである。そこで田平会長は店宛(店受一九時)右電文を見たが、なお船員が納得しないので、「内容を知らされ度、出来なければこのまゝ帰港するといつているので処置に困つている」(疎乙第一〇号証の三)旨打電した。

四、ストの発生とその性格

成立に争ない疎乙第一〇号証の四、五に債権者五名の本人尋問の結果及び証人田平正善、同木下定、同狩野晋、同西崎春男、同村上芳一、同土居忠義の各証言を綜合すると次の事実が一応認められる。

(1)  一月二日は前日に引続き時化のため仮泊したまゝであり、風力は六ないし七であつたが、漸次風力は衰えつゝあつたし、既に店より先船八組に対しては一般漁への切換指令がなされ、昼間網の取替作業がなされた状態であつたので、先組の漁撈長達は夜になつて走航南下すべき心組であつた。しかるに各船は依然として組合よりの返電を待つ態勢を崩していなかつた。同日二〇時四〇分陸上との最後の交信時間を了つてなお返電がないところから、田平漁撈長会長は同日二一時頃六山の債権者蓑崎を電話口に呼び出し、操業の意思の有無を再び船員に聞いてくれるよう要請した。そこで蓑崎は船内委員を電話口に召集し二一時三〇分頃より第二回電話大会が開かれた。右大会においては、各船が分散し操業して返事を待つては店に圧力がかゝらないからこのまゝ仮泊を続けながら組合からの返電を待つとの意見と、一般漁に切換のため走航しながら返電を待つとの意見が出されたが、前者の意見が多数であつて到底操業をする意思なきことが判明した。この間田平会長は船員等に対し操業方を説得し、帰港中止を求めたであろうことが推認されるが、蓑崎は田平会長に対し、船員の意向は「お聞きのとおりです」と説明したので、田平会長は「ではストとみなしてよいか」と詰問したのに対し、蓑崎は「ストライキとみなしてよい」と答えたのである。この間債権者浦里の乗船していた一〇山の漁撈長村上芳一はスタンバイを命じアンカーを揚げ走行を指令したところ、浦里は「船頭まだ話はついてないぞ、アンカーは揚げられんぞ」と詰問したが、強気な村上はこれを無視して走航を開始した。そこで浦里はマイクで蓑崎を呼び出しあくまで碇泊して返事を待つべきだとの意見を述べると共に、船員をブリツジに集め、船員中反対者もあつたが碇泊して返事を待つべき旨の意見を強く述べて船員の同調を得、ついに村上漁撈長もやむなく、一時間余の走行の後停船し漂泊するに至つたことがあつた。また六三山、六五山がこの電話大会中走航し出したのに対し、この知らせを受けた蓑崎において六三山の船内委員和久田に対し詰問した事件もおこつた。

(2)  右電話大会は同日二四時頃終了した。田平漁撈会長は右第二回電話大会の模様を店の宮崎支配人の自宅宛次のように打電した(一月三日一時三〇分受)「本二日夜半までエビ時期最低補償の件に就き全船員と話し合うも説得できず完全にスト態勢に入る、先電通り補償確約の返電あるまで現位置に仮泊し待たざるを得ない様な状態に至つたので出来るだけ早く解決方お願い致します、漁撈長会」。(疎乙第一〇号証の四)。これに対し宮崎支配人は同日二時一〇分受田平会長宛「組合要求は月額五万円であり、以上は当然の要求として気持良く理解しておる、この点は他社の関係もあるので秘密にされたい」(疎乙第一〇号証の五)。右電文を受信した田平会長は直ちに債権者蓑崎を無線電話にて呼び出し、来電の旨告げたところ、蓑崎も右電信を傍受していてその内容を了知していた。そこで蓑崎は右電文を、無線電話で第一、二回電話大会と同じく召集した船員に向つて読み上げ対策を協議した。当時は真夜中のこととて電話口に集まつた船員は多くはなかつたであろうが、船員の意見の大勢は、この電文では信用できない、ということで、右疎乙第一〇号証の五の来電によつても事態解決のいと口になり得なかつた。

そこで債権者蓑崎は同日二時三〇分組合に対し「指定の時間が来たが確約の回答なきを遺憾とする、更に投錨(仮泊)しながら二四時間を待つ、三日二〇時四〇分まで確約の回答なければ全船漁場引き揚げ帰途につく、尚スト権確立の手続をいそがれたし、組合員一同」(疎乙第一一号証の一〇)を打電し、更に同日五時三〇分「えび保障の件確約した内容ウナ知らせ(宮崎氏より月額五万円と来たが)一、経費一航海打切りか二、保証金及び経費は次航海に繰り越しはしないのか、こちらオールワツチで待ち受けているから電見次第折返し返待つ、組合員一同」(疎乙第一一号証の一一)を打電した。当時第二回電話大会以後全船の通信士は交代でオールワツチし、返電を受信すべく準備していたのである。同日朝八時頃風力は次第に弱まり、後船十組でも投網し操業できる状態となつたので田平会長は電話で債権者蓑崎を電話口に呼び出し「ここらあたりでなんとか事態を収拾してくれ」と申入れたが、蓑崎は自分は単に司会をして来ただけにすぎないから、船員の意見を聞いてみようと答えた。田平会長は、新たに返電が来たわけではなく、電話大会を開けば従前と同じ結果が出ることは明らかであると思い、それ以上の行為には出なかつたが、六五山の一ノ瀬船内委員からは操業できるようになつたから操業しながら返事を待とうとの意見が出たが、事態を変更するに至らず、また機関士会長門脇より、田平会長に対し一ケ月一人代五万円を漁撈長会長において保障するなら操業してもよいとの意見が述べられ、浅香漁撈長等からは、今更泣き言をいうななどの応酬がなされたいきさつもあつた。

田平漁撈長会長は、ついて同日一〇時二〇分(店受)店の宮崎支配人宛「……御返電後直ちに全船員と話合うも組合要求の一、経費はその航海で打切りである事二、エビ補償金及経費は絶対次航海に繰越さぬ事、以上の点に不安を感じており組合の確約したとゆう具体的内容の返電あるまで絶対に漁撈長の意思に委せず如何ともしがたし、了承乞う、漁撈長会」(疎乙第一〇号証の六)を打電し、これに対し店発一一時四〇分田平会長宛「一、エビ補償金は一ケ月一人代五万円歩付は歩付計算による二、補償金はこの航海の経費を控除した後五万円に達しなかつた場合五万円を支給するとゆう事である三、経費補償金の差額は次航海に繰越す事はしないとゆう事である、以上は組合と確約済である。」(疎乙第一〇号証の七)が打電されて来、他方組合よりも同日一一時四〇分六山の蓑崎宛「一、エビ補償金は一人代一月五万円、歩付は歩付計算による二、補償金はこの経費を控除した後五万円に達しなかつた場合に五万円を保障するとゆう事を確約した三、経費補償金の差額は次航海に繰越す事はしない事である。各船に伝え乞う」(疎乙第一一号証の一二)が来電し全船員納得し、同日正午頃より全船仮泊の態勢を変更し、操業を開始するに至つた。

(3)  店の経営する手繰船が主船、従船を一組とする漁撈方法を採つていることはさきに説明したとおりであるが、一組の行動は、すべて主船に乗船する漁撈長の指揮命令によるものであり、漁場の選定、それに伴う船の運行、漁撈全般についての指揮命令は挙げて漁撈長の権限に属する。一般漁の場合は出港以来漁撈長の責任において運航、漁撈し、漁獲満船になれば自由に帰港する意味で自由操業とも云われるが、エビ漁においては漁獲物の運送に運搬船を使用する関係等の差異から、漁場の選定、入港については店の指示によることとされているため時にこれを強制操業(疎乙第一一号証の一五、浦里の本人尋問の結果)とも船員はいつていた。しかして本件エビ漁にあつては、店は昭和三四年から毎年実施したエビ漁の経験にかんがみ、山田丸全船一八組を四、四、五、五の各組の四船団に編成し、総船団長に漁撈長会長をあて、出漁漁撈することに決定していた。このことは店の漁撈長との協議の結果であり、出漁前組合にも通知されていたのである。したがつて、現実に行われた漁場での探索、漁撈方法が従前とさした違いがなかつたことがあつたところで、右船団操業の事実を否定することは相当でない。しかして、前記一月二日の第二回電話大会前において、店より早出の八組に対しては一般漁に切換え、後出の一〇組に対しては自由操業とする旨の指令があり、前者については一般漁のための準備として網取作業が指令されていて、同日夜半頃には時化も衰える徴候があつて田平総船団長より、電話大会中の船員に対し、仮泊の態勢を変更し操業しながら返電を待つよう説得したが、全船員の大勢は三日二〇時四〇分までこのまま仮泊して返電を待つ態勢をくずさず、且つ、一〇山や六三山、六五山の走航(これが漁変のためか風上りのためかは別として)について強く問責される状態を呈し、田平会長の前記電文にある如く「漁撈長としても如何ともしがたい」状況にあり、「完全にスト態勢に入る」状態になつたことは明らかである。しかして、かゝる状勢にあつたことは、全漁撈長も電話を通じて聞いて知つていたのである。洋上において他の応援を求め得ない状態にあつて、しかも、船員一体となつて有機的に協力運行しなければ、生命身体の危険にさらされるであろう船舶においては、かような船員の態勢に遭遇すれば、船員の意向を無視して漁変走航のため漁撈長がテレグラフを引き走航開始を命ずることは到底期待できないであろう。したがつて各漁撈長がすべてテレグラフを引き走航を命じた事実は窺われないけれども、前記第二回電話大会終了以後は、洋上全山田丸船員において、業務の正常な運営を阻害するストが発生し、一月三日正午まで右ストが継続したものと認めるのを相当とする。

(4)  山田丸全船々員は全海所属の組合員であるところ、成立に争のない疎甲第三号証(全海規約)によれば、本件におけるような一企業体にあつてもストを行うには原則として中央執行委員会の決定によるものであり、臨機の措置を必要とするときは、組合長の判断で決定することができる。しかし右決定がなされた場合でも、決定されたストを開始するためには、ストを行うべき対象となる組合員の一般投票により有効投票の三分の二以上の賛成を必要とする。投票が先行し所要賛成票があつても、前記委員会又は組合長の決定が必要である(八四条)。右一般投票は、組合が発行する密封式無記名投票用紙を使用し、本件の如き場合には少くとも一〇日間(事案によつては更に期間が短縮されることがある)をおきその間一般投票に付すべき事項を公示し、対象組合員に投票人登録を行わせて投票用紙を交付する。投票は、支部機関において船内役員立会のもとに毎日開票を行い、管轄支部にその集結をする。只例外として事案の内容が周知されている船舶から賛否の明確にされた無電投票があつた場合にはこれを有効と認めて処理する(八七条)。本件ストはかような手続を経てなされたものでないこというまでもないから、規約違反のストたるこというまでもない。しかしながら規約違反のストたるのゆえをもつて違法なストと速断することはできないが、本件の場合、全海長崎支部が店に対するエビ漁補償に関する組合の要求をかゝげ要求が容れられて妥結した直後であるから一般投票等により所定賛成票があつたところで中央委員会ないし組合長支部長のスト決定がなされる可能性は殆んど期待されずしたがつて組合の現実の意思に反したストである。また、ストは組合が各組合員の労働力に対する統制を通じて組合の要求を貫徹する手段として合法視せられるものであるところ、ストによつては各組合員の給料その他労働の対価を喪う関係で各人の利害に深く影響する。したがつてストを行うにはその賛否につき各人の意思が自由に表明せられることが必要(労働組合法五条二項八号参照)であり、これによつて初めて組合の団結を維持しうるものともいうべきである。しかるに本件においては、洋上各所に点在する船舶交互間において、主として通信士の専管する無線電信または交信必らずしも良好でない無線電話によつて意思を連絡しあい、ストを準備決定実行したというにすぎないから、本件山田全船の船員すべてが自由に意思を表明した結果操業拒否のストを決定したものと評価することも相当でない。以上の理由によつて、本件ストはいわゆる山猫ストとして合法性を欠くものといわねばならない。

五、本件ストにおける債権者蓑崎、浦里、米良の責任について

成立に争ない疎甲第一一、一二号の各証、第一三号証の二ないし一二、同号証の一四ないし一八、同号証の二二、二三同号証の二五、二八、三一、三七、四四、四五、四七、四八、五〇、五二疎甲第一五号証、同第二〇号証の一、二、証人竹下昇の証言により成立を認めうる疎乙第二〇号証の一ないし五、証人小宮大八の証言により成立を認めうる疎乙第二一号証の一、二に、さきに認定した三(2)の事実及び右証人両名、証人田平正善、同狩野晋、同村上芳一の各証言に債権者等五名の各本人尋問の結果を総合すると次の事実が疎明される。

(1)  エビ漁は店においては昭和三四年より始められ、同年は一般漁用の網を用いたが、昭和三五年よりは大型のエビ専用の網を使用するに至つた。昭和三六年七月長年漁撈長の経験を有する小宮大八をしてエビ網作成の担当者に定め一航海下船せしめて旧網を製作させ、昭和三七年四月には同人は網作製の技術面を担当する専任者として陸上勤務となり、本件下りエビ漁には同人考案の新網を使用することとなつた。新網は旧網と比較すると、上三角下三角を取付けたこと、下反に比重の重いポリテツクスを使用したこと、フラツパーに比重の重い材質を使用したこと、身網の長さを短かくしたこと、重量が約一〇キログラム重くなつたこと(新網は一九五キログラムであるに対し旧網は一八五キログラム)の差異があつた。新網は、小宮大八の長い漁撈経験に基いて製作されたものではあつたが、船員達は、従来使いなれて来た網とは構造重さ等において差異があり、次に述べるエビ漁の不漁と相俟つて漁獲が少ないのは新網に欠点があるものと考え、他面、陸上にあつて新網使用の結果について報告を求められていたところより、出漁中の各船は店宛思い思いに使用の結果を詳細に報告すると共に所期の成績を得るための改修箇所、改修方法の指示を仰ぐ電報を発し、これを受けた小宮大八はこれに対処する方策を指示する電報を発し、また、各漁撈長において自発的に自ら思うところに従つて改修するところがあつた。債権者等各本人尋問の結果中、新網が欠点だらけの網であつたような供述があり、殊に疎甲第一一号証の一六によると「使いものにならぬ」というのであるが、小宮大八の証言と比較検討すると、しかく断定しうるかどうか疑問である。しかしながら、種々改造された新網であり、殊に重さも増しているところから、船員がこれが取扱いに難渋し実地に使用してみて調整を加えねばならぬ箇所も多かつたし、したがつてこれが改修のため、従前のエビ漁における労働に比し相当程度加重されたことは推認するに難くない。のみならず、これ等網の改修のためには材料を取寄せる必要も相当多く発生し、運搬船に托してこれが送付を求めねばならず、これは取りもなおさず、経費として船員の歩合金に不利に影響して来るのであるから、本件エビ漁に新網を使用させられることになつた点については、船員中には相当の不満があつた事は否めない。

(2)  次に、エビ漁は相当の収獲を挙げて来、殊に昭和三六年の下りエビ漁は豊漁で一人代一七万ないし一九万円の歩合給を受けたが、昭和三七年上りエビ漁は極めて不漁であつた。ところで本件下りエビ漁は先船八組は一二月一、二日、後船は一二月一二日から一四日にかけ出漁し、いずれも三日位の航海を経て漁場に到達し、直ちにエビ漁撈に着手したが、例年の下りエビ漁に比し漁獲は香しくなかつた。当時店の船舶が操業していた漁区附近には大洋、日水等の手繰船が同じくエビ漁に従事していてその数は百数十組に上つていた。これらの漁獲は豊漁で配当も良いなど社外船の情報がはいつたところから、山田全船の不漁は全く新網の欠点によるものとする船員の空気があつた。しかしながら疎甲第一五号証によるも先船の漁獲は漁場到着直後は相当に良好であり、また、山田各船を比較しても網改修を何ら行わなかつた一七、一八山が一番漁獲が良かつた事実があること、漁獲には網の良否の影響あること勿論であろうが漁場探索、曳網、天候等の影響するところが大きいことが考えられるところ、本件下りエビ漁当時は例年に比し暖かい日も多く海況が適さなかつたことも本件エビ漁不漁の原因と推認される。また漁獲不漁のため、運搬船の往来も予想以上に少かつたことが推認せられ、したがつて運搬船の往復を予想して食糧、嗜好品を少く携行した船舶はこれらに不足を生じ、欠乏感に陥つたであろうことは、債権者浦里の供述によつて成立を認めうる疎甲第一三号の各証によつて推認される。いずれに原因があつたにせよ、新網による労働強化とエビ漁不漁に基き「一人代一ケ月五万円、経費繰り越しをしない」との組合要求を、店が果して容れるかどうかについて、船員が航海日数が経過するにつれ次第に不安を覚え、一二月二四日頃には船員間に組合幹部は強く交渉して、店より組合要求を絶対に獲得すべしとする機運が醸成されていた。

以上の出漁山田全船の船員の気持を前提として、本件ストにおける債権者三名の責任について考える。

(3)  出漁中の船舶と陸との通信連絡は、本件の場合時たま来る運搬船による場合のほか無線電信による以外にはないから、これが衝にあたる通信士は、打電するにあたつては電文という短い文章のなかに発信者の意思感情を充分盛りこむと同時に他面、受信してはこれを誤りなく理解する義務あることはいうを俟たないこの意味において、洋上船舶にとつては通信士は乗組船員中枢神経であり、その眼であり耳ともいえよう。

もし通信士において、キヤツチする通信・情報の理解を誤まり或は曲解するにおいては通信士を通ずる以外には自ら見聞する資料を有しない、いはば孤立状態にある船員をいかようにも動かしうるであろう。債権者等三名はこの職責を担当する通信士であつた。ところで、三に述べた出漁中の組合員に対する妥結内容の通知連絡のいきさつを見るに、組合より一二月二六日「今期エビ漁補償の件組合要求の線で諒解させた」との電文を受けて債権者等三名はいずれもこれをもつてエビ漁補償に関する組合要求は容れられたと理解したであろうことが推認される。けだし、通信士は船で一番のインテリであり、何でも良く知つており、行動も自由であり(蓑崎の第一回調書一〇九項)、出航前の船員大会や組合ニユース四八号等によつて組合要求の線は熟知している筈であるから、一二月二四日の組合に対する叱咤激励の右電文に対する回答としてなされて来た前記電文を判読すればその理は明らかであろう。しかし、その他の組合員たる船員は、或はしかく理解しえなかつたかも知れぬ。船員多数が右電文を知らされて、「諒解ということが判らない、話は判つたという程度のことだろう、非常に弱い、あいまいである」等疑念を提起したことが、債権者等五名の供述より認められる。そこでその後数次に亘る照会の発受信後最後的に債権者蓑崎は船員の意向は組合要求の線で「妥結」したかどうかゞキーポイントだとの結論を得て自ら起案して一二月二八日「エビ補償に関する限り組合の線で妥結したものと考え安心して操業してよきや」と打電し、この電文は事後ではあつたが、全船員に示し事後承諾を得たのである。これに対する返電は「安心して操業せられたし」というにあつた。単に「安心して操業せられたし」の文章ではあるが、その前提として、「組合の線で妥結したものと考え」である。妥結してなければ安心して操業できないから、妥結したかどうかを問合わせた電報に対し、安心して操業せられたしとの返電あれば、その前提として妥結したことを意味していること当然であつて、自ら起案し、事後承諾を与えた全船員とてこれを諒察するのが相当である。債権者等三名は一応右の意味に理解したのであるが、船員のなかにはこれに対してなお、疑念をもち、更にその後数回照会の電報を発したこと前記のとおりであるが、結果的には組合ニユース四八号記載の内容を、電文に明らかにしたにとゞまり、それ以上には出ず、一月三日正午頃疑念が解けたというに止まるのである。

債権者等三名が、電文を正解せざる行為に出た理由はどこにあるかを検討するに、要約すれば、通信士会委員として債権者等三名において、組合の支部長、支部々員が店に対して弱腰であるとの印象に基く組合幹部に対する不満、不信と、通信士会員が新たに組合に加入したことによつて山田屋全船員の志気を高揚し、要求獲得に関する通信士会の存在を示し、これに因る組合の威力を示そうとした意図にあるものと推認される。すなわち、前顕疎甲第一六号証と債権者等三名の各本人尋問の結果を総合すると次の事実が疎明される。通信士会は組合よりしばしば加入方勧誘を受けていたが、通信士会としては自ら店と交渉して経済的地位の向上を実現して来た関係で加入の必要もなく、他面、休日問題にしてもこれが実現するまで数年を要し、在港日数にしても組合が取上げるようになつてから次第に船員に不利になる、昭和三七年よりエビ漁の長期航海に対する慰労金も要求三万円に対し僅か五、〇〇〇円の支給という具合で、組合の店に対する態度は弱腰であつた。こういつた諸点が通信士会の昭和三七年八月一日総会で組合に対する不信として表明された。右総会には組合より迎支部長、谷口部員が出席し、組合の方針を説明すると共に今年はソーメン代や餅代は必らず要求してとるなど言明すると共に、従前通信士会が組合に加入していなかつたので洋上船舶との連絡が旨く行かず不便であり、組合活動不活溌の原因であつた。通信士会が加入してくれれば今まで通信士会が組合を悪くいつていたが必らず良くなるなど述べて、通信士会に非常に期待をかけた。ここに通信士会は組合に、組合は通信士会に互に「おんぶされる」気運が生れ、通信士会は同年一〇月一日さきに述べたような事情で組合に加入したのである。かような経緯にかんがみ、本件下りエビ漁出港に先立つ同年一一月二九日の通信士会の委員会で「諸要求を獲得する方向に精力的に努力させる、斗う態勢を作る。船内委員を選挙し之とアンテナ会機関士会代表を加えて山田屋委員会を作り云々。当面の問題としてエビ漁保障の件補償額三〇日で五万円とする、グループ毎のプール制とする、長期出漁の件一航海を現在会社が言明している四五日前後を絶対越さぬようにする。正月貸付(希望者のみ)三万円とする。休日の増加の件別紙の通り。労働協約を早期妥結に導くよう努力する」等を決定し、通信士会が山田各船乗組の組合の中核となつて、組合要求貫徹斗争を精力的に推進すべく決意した。しかも同日門脇機関士会長と通信士会委員四名が組合を訪問した際、支部長より店との間に労働協約がいまだ成立していないが、ストライキでもやる以外には方法がない、どうだストライキはやれるかと云われ、皆で、やれと云われるならばやりますよと返事し、斗志を盛んにしたのである。さればこそ、一二月二八日組合発の電報を受信してエビ漁補償に限り妥結したことを了知したと推認されながら、なお、組合発電文に「……具体的内容をそのまゝ打電することを店が警戒するので……」(疎乙第一一号証の五)等の字句を捉えて組合員が不安を示したのに対し、通信士として、照会、回答の電文を仔細に検討説明し不安を解消する手段を講ずることなく、却つて自ら「組合要求の線で妥結せりや」と打電すればいいのに、「妥結したものと考え安心して操業してよきや」と起案打電し、その返電として「安心して操業せられたし」と来るや「安心されたしでは安心できぬ……」(疎乙第一一号証の八)と更に打電しているのである。通信士会の統制部委員として通信士会を代表する立場にある蓑崎において自ら紛争の種となる電文を起案打電したものといわなければならない。

更に蓑崎は、一一月二九日の通信士会委員会の決定に基き斗う態勢を作るべく、且つ、出港前組合から依頼されていたことより一二月二九日未だ選任していない船に対し船内委員の選出をなさしめ、強化された労働、エビ漁獲の不良、食糧品等の不足が原因して不安にかられている船員の集団に、組合要求いまだ容れられずという集団的幻想を生ぜしめる因を作り、爾来一月二日から三日の電話大会において自ら議長となつて本件ストを決行するに至らしめたものである。もつとも債権者等は蓑崎は右大会においては単に連絡係司会者になつたにすぎない旨供述するが、叙上みて来たような、従来支部、分会等に組織されていない組合員のいわば洋上船員の争議集団において、各組合員の意見を集約する者は、その名は司会者といゝ連絡係というも、その実は右集団の指導者と認めるのが相当である。通信士が船で一番のインテリであること蓑崎がさきに自ら供述するところであるが、一月二日先船が一般漁に切換えるため網の取替作業を命ぜられるにあたり、一部船員がこれを拒否する態度に出たのに対し、帰港するのが目的ではなく要求を獲得するのが自分達の目的であると説得して右作業に従事させた事実(債権者蓑崎本人尋問の結果)、さきに認定したように、第一回電話大会において六五山を除き全船二日二〇時四〇分返電なきを期し引き揚げるとの意見に対し、蓑崎において、六五山の意見に賛成し、慎重な再討議を要請した結果三日二〇時四〇分に変更させた事実等をみれば、右認定は当然というべきである。

次に、債権者浦里同米良について考察する。前記蓑崎に対する検討の際通信士並びに通信士会委員に関し説示したところは、浦里、米良についても共通するものであるところ、右債権者は一二月二九日船内委員に選任され、各乗船の一〇山、二八山の船員代表となつた者である。米良は蓑崎と同郷の友人であり、三名は通信士会委員として強力な斗争態勢を作るべく決定した者同志であつたところから、本件電報の往復についても互に絶えず連絡し合つていた(狩野晋の証言)事実は容易に推認されるところであり、浦里は第二回電話大会の頃一〇山が走航するのに対し漁撈長を詰問し、第三回電話大会においても、最も強硬な意見を吐いていたのは右債権者両名であり(田平正善の証言)、右両名は機関士会長門脇、債権者根井路、戎等と共に、第二回電話大会において走航しながら返事を待つ等の意見に対し、さきに決定した二日二〇時四〇分返なければ帰港する旨の線を強く主張したものである(村上芳一の証言)。

以上を要するに、債権者等三名は本件ストライキにつき、協力してこれを助成し主導し実行したものと認定するを相当とする。債権者等はこれを否定し、いずれも、エビ漁補償に関する組合の電報による通知によつては妥結の事実が明確ではなく、山田全船の組合員は、組合の通知はすべてあいまいであり、妥結してないと判断し、要求確保がない以上漁場を引き揚げ帰港すべしとの決定をなしたのであり、債権者等三名は全船員の総意に基きこれを連絡したのみであつて、債権者等が本件ストを主謀し煽動し実行した事実はないと供述し、債権者戎の供述により成立の認められる疎甲第二二号証の一三ないし一五証人木下定の証言により成立を認めうる疎甲第一〇号証の四、五にもその旨の記載がある。その他債権者戎の供述により成立を認めうる疎甲第二四ないし第二七号証に、債権者三名が通信士として前顕疎乙第一〇第一一号証の各証の発信並びに受信に際してその電文を処理した扱い方をみると、事前に或は事後に船員に(従船には通信筒で連絡し)これらを示し討議の上その意見を徴していることが一応推認されないことはない。しかしこれらの事実からは、債権者等三名がストライキの意思のない組合員をかりたてゝストライキの意思を生ぜしめる企画をなして実現せしめた事実は認めがたいというにとゞまり、債権者三名を目して通信士会、機関士会、及びその他の者の組合員より成る洋上山田全船の組合員を、一つの争議集団に結成し本件ストをなすに至らしめた責任者と認定する妨げとなるものではないと解する。けだし、債権者らが各供述する討議は、仮泊中を除いては操業や網改修作業に忙殺されている船員にとつては食事時にのみなしていたことが推認され(債権者根井路の昭和三九年八月一七日調書三四項)、また、組合幹部の弱腰を糾弾すること急であり(疎乙第一一号証の一五、一六)これに対する不信の念を醸成していた山田全船の組合員に、群集心理にかられない討議、リーダーのない成員平等の討議がなされえたか、疑わしいといわねばならないからである。したがつて債権者三名の以上所為は、店の就業規則八〇条二号三号八号に該当するものというべく、店は昭和三八年一月中旬先船八組が帰港するにしたがい、漁撈長、その他債権者三名を含む船員につき本件ストライキの実情に関し調査の上、同規則八一条三号により懲戒解雇処分をなしたのは相当である。

六、債権者等三名の右懲戒解雇に対する債権者等の主張について

(1)  就業規則に関する主張について。就業規則が法規範性を有する説の理論上の根拠を有するものとは考えられないが、就業規則は使用者が多数の個別的労働関係を統一的に処理する必要と便宜のため労働契約の内容を一方的に定めるものであつて使用者が経済的、社会的優位にあり被用者が従属的地位にある関係で被用者は事実上これに拘束されるものであり、使用者の一方的制定のゆえに苛酷、不公正なるを防ぐため労働基準法八九条以下の規定によつて国家の監督介入を受くべきものとされている。したがつて、就業規則の内容は、事実たる慣習として労働契約の一部に当然包含されたものと考えるを相当とする。しかして本件規則は正規の手続を経て昭和三四年一〇月一日施行され、一隻に一部宛配布されていることは竹下昇の証言により疎明されるところであるから、債権者浦里の供述による如く店の船員がその存在内容を知らなかつたとしても、そのゆえに本件就業規則による懲戒解雇を無効と解することはできない。

(2)  不当労働行為であるとの主張について。債権者蓑崎が昭和二八年夏より通信士会の役員を歴任し、その間調査部長、厚生部長、本件エビ漁当時統制部委員であつたこと、同浦里が通信士会結成当初より二年間副会長をしその後昭和三三年度に一年間役職を離れた以外は役員をつとめ、本件エビ漁当時調査部委員であつたこと、同米良が昭和二七年度より昭和三三年度一年間役職を離れた以外は厚生部以外の役職を歴任し、本件エビ漁当時は技術部委員であつたこと、右債権者等が通信士会の役員として、通信士の労働条件の改善をはかるため、強力に店と交渉し、時には実力行使に出でゝ、要求を貫徹して来たことは、同人等の各本人尋問の結果により疎明せられるところである。したがつて店が債権者等に対し労働組合的性格を有する通信士会の役員の地位にあつて過去相当活溌な組合活動をなしたゆえをもつて同人等に対し好意を抱いていなかつたであろうことは推認されるが、本件解雇がこれを主たる事由としてなされた事実は、本件全証拠によるもこれが疎明を得ることができない。

(3)  本件懲戒解雇が思想・信条を理由とするものであるとの主張について。債権者米良の供述(昭和三九年六月二九日調書三二二項)によれば店の竹下船員係や山田忠治が米良は共産党員であると云つたことを伝聞した事実、債権者等の本件解雇につき共産党が救援斗争のビラをまいた事実があつて、これをもつて来て店の宮崎支配人が「そら見てみろ、彼たちは共産党員ぢやないか」と云つた事実等が疎明されるが、これらの事実からは店が債権者等に対し共産党員又はその同調者のゆえに本件懲戒解雇をした事実の疎明を得ることはできない。

(4)  解雇権濫用の主張について。債権者等各本人は従業員に対する店の経営態度、労働条件は極めて不良である旨種々供述する。例えば海南島における漁撈中重傷患者が出て、香港に入港して手当を受けたい旨店に指示を仰いだのに承認されなかつたこと、盲腸患者が発生し帰港申請をしたのに巡視船に便乗方指令がなされたこと、その他洋上船舶で発生した負傷者に対する看護措置の非人道性等。これらの事実をみれば店が従業員の人権を無視している如き感を受けないわけではないが、これらの事実は当時の諸般の事実が更に検討されなければ、店に人権尊重の精神が全く欠けていたとの事実を推認することは無理であろう。また、漁撈中の事故で死傷者が出た場合、それが船舶に備えるべき設備の不良、欠陥に基くものである旨の供述がある。しかし、これらの事実とて、船舶の構造その他を具体的事案に即して詳細に検討した上でなければ、あながち店の責に帰すべきものかどうかは、にわかに判定しがたい。いずれにせよ、東支那海等の洋上において自然の脅威と戦い生命・身体の危険にさらされて漁撈する船員に対しては、使用者たる店はその保護のためなしうる限りの努力を尽すべき義務があり、店がその措置を十全に果していたかについては疑問を抱かざるをえないが、店の従業員は全日本海員労働組合に所属していることさきに述べたとおりであつて、未組織労働者ではないから、店に対抗する労働組合として、全海が労働条件の維持向上のため戦斗的であるか否か、或は同長崎支部が積極的であつたか否かはしばらく措き、叙上の点についての紛争が本件ストの直接的原因ではないからこれらの点に関する債権者等の供述をもつて本件懲戒解雇が、店において自己の非に眼をつぶつてなした解雇権の濫用であるということはできない。

店が近代的経営者としてのセンスをもつていれば、このさわぎを未然に防止できたことを指摘し、事態の混乱は店の予断と偏見・労働者蔑視の考え方にもとづく旨の主張について検討する。既にみて来たとおり、一二月二六日妥結した本件エビ漁補償に関する協定につき、「他社との関係もあるので部外秘とする」約定があつたことは事実であり、この点が妥結の通知を受信した債権者等三名の通信士を始め、多数の船員をして妥結の事実に疑念を生じさせた一因であつたことが推認される。協定内容が組合にとつて不利な場合は店としてその内容を部外秘とするよう申出でる場合は少いであろうが、有利な場合かような約定をする場合が考えられようし、その実、同じ全海組合員であつても他の企業体も存在するし、他の組合との関係もあつて、当事者以外には秘密にし公開しないのを相当とすることは協定としてあながち不公平な在り方とはいえないであろう。この約定が労使いずれの側からの申出によるにせよ、双方納得の上成立したのであるから、組合の線で妥結したとし、組合の線が船員大会や組合ニユース四八号で充分周知せられたものとされている以上、この約定自体を非難するのは相当でない。また、本件ストライキは、店に対し要求をかゝげてなされたものではなく、組合幹部に対する不信、抵抗、圧力を主たる動機としてなされたものであることさきに説示したとおりであつて、店においては一月二日田平漁撈長会長よりの電報に接し、はじめて洋上船員の憤激あるを知り、早速組合につき事情を聴取したところ、妥結内容は既に洋上船員に連絡済との回答を得たので、それを確認する意味で各漁撈長宛「最低補償に就ては組合と完全に意見が一致している」旨(疎乙第一〇号証の二)の連絡をなしたことが竹下証人の証言によつて疎明される。他面、債権者蓑崎等に対し、前記電文を見た田平漁撈長会長が交渉妥結についての確信を示さなかつた事実が債権者等各本人尋問の結果により一応認められるが、組合要求についての交渉経過につきつぶさにその衝にあたつていないし、問合せの往復電報の詳細につきタツチしていない田平会長が、仮りに蓑崎等から右につき説明を受けたところで直ちに組合要求の線で妥結したと言明しえなかつたとしても、あながち責むべき行為とみることは相当でない。以上の理由によつて解雇権濫用の主張も採用することができない。

七、債権者根井路同戎の合意解約について

右債権者両名が昭和三八年二月二三日本件ストに関する責任を問われて店より退職勧告を受けたことは、右両名の各本人尋問の結果並びに証人竹下昇の証言により明らかであるところ、債務者等は右債権者両名が即日これに同意したとして、前記就業規則七三条一項一号を適用して退職としたと主張するので検討する。右条項は一項「船員の退職理由は左のとおりとする一辞職、本人の都合により下船を申出で船主が認めたとき……」二項「辞職の場合は漁撈長を経て船主にその旨申出でなければならない」と規定する。本件の場合、右債権者両名から下船を申出でた事実並びに漁撈長を経て右申出をなした事実を疎明する証拠は存しないから、右条項に該当する辞職の要件を具えないものと解するを相当とする。

しかしながら、右条項にいうが如き辞職の要件を具備しなくても、労働関係の当事者が真に雇傭関係を終了する合意をなした場合にはその効果を認めるを相当するから、この見地にたつて本件をみるに、証人竹下の証言によれば、債権者戎は前記二月二三日店の事務所に呼ばれ、竹下船員係より本件ストに関する同人の行為を問われ操業反対の強硬意見を吐いた理由で退職を勧告された際右事実を認め下船することを承諾した。なお、その際漁撈長の悪口を散々云い、また船番等に再雇傭を依頼し、竹下船員係において帰りぎわに退職金を計算しておくから明日にでも取りに来るように云つたが未だに受取つていない。債権者根井路も同日竹下船員係に店事務所によばれ、同人より本件ストに関し船員にはからずして操業命令に反対した理由で退職勧告を受けた際右事実を認めやむを得ません、従いましようといつて帰つた、退職金は明日取りに来なさいといつたところ、全日海の迎支部長から、店から借りている住宅資金を全部控除しないで退職金を払つてくれとの申出があつてこれを承諾していたところ、同人が病気のためその後取りに来なかつたというにある。しかしながら、二月二三日初めて店の事務所に呼ばれ、本件ストに関する責任を問われた際、即日直ちに店の主張する事実を素直に承認し、退職に同意するが如きは特段の事情がなければ考えられないことであつて、債権者両名が供述するように、店側主張の事実を争つたところ、それでは懲戒解雇になるでしよう、だから退職金を貰つて帰りなさいと云われたが、これを受領せず帰つたのが真相であると認めるのが相当であり、且つ、本日に至るまで退職金が受領されていない事実は右債権者両名が退職に合意した事実なきことを補強するものである。

したがつて右債権者両名につき合意解約が成立した事実は認めがたいから、両名は店との間に雇傭関係を継続しているものと認めるを相当とする。しかして、成立に争ない疎甲第九号証の一ないし三によると債権者根井路は昭和三七年一二月一〇日配当金(税込以下同じ)五万五、〇〇〇円、昭和三八年一月二五日同七万一、五〇〇円、同年二月二三日同三万六、三〇〇円の支払を受けている事実並びに、同人本人尋問の結果によれば同人は妻と子供三名の五人家族で、従前の船員としての収入によつて生計を維持して来たもので本件以来さしたる収入のない事実が一応認められる。また、成立に争ない疎甲第八号証の一ないし三によると、債権者戎は昭和三七年一二月一〇日配当金(税込以下同じ)四万二、五〇〇円昭和三八年一月二六日同六万四、四〇〇円同三万四、五〇〇円の支払を受けていた事実並びに、同人本人尋問の結果によると、同人は両親と子供五人の八人家族で、店の従業員としての収入によつて生活を維持して来たもので、本件以来日傭等によつて僅かの収入を得ている事実が疎明される。してみると、債権者両名の本件仮処分申請は理由があるから、店は右債権者両名を従業員として取扱うべく、金員支払を求める部分につき店に対し、債権者両名に昭和三八年二月二四日以降毎月各月末まで各金四万円宛仮りに支払うことを命ずるをもつて相当とする。

結論

よつて、本件仮処分申請中債権者蓑崎、同浦里、同米良に関する部分は理由がないから却下することとし、債権者根井路同戎に関する部分は理由があるから主文第一項の如く認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 亀川清 福間佐昭 萩尾孝至)

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